ようこそいらっしゃました。ホームページをご覧頂きましてありがとうございます。
弊社は創業以来、この大阪で「商売は牛の涎」細く長く続ける事をモットーに「商は笑にして勝なり」大阪商人らしい企業を目指しております。お客様に笑顔になって頂くことが我々の目指すところでございます。
「新しく生まれる 夢をカタチに」をコンセプトに、試作品、研究開発品等 一台からの受注もしております。
自動化出来ないものは是非お問い合わせを、機械には真似の出来ない職人技を体感ください。
皆様とご縁が出来ます事を楽しみにしております。よろしくお願い致します。
代表取締役 川上 幸一
我が社は最先端技術の進歩による、人類の発展的な豊かな社会作りにモノ作りを原点に貢献します。
人の手による暖かな優しい商品作りを目指します。
名称 | 株式会社 新 生 | |
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創業 | 昭和34年4月 (株式会社法人設立 昭和41年7月) | |
資本金 | 1,000万円 | |
代表者 | 代表取締役 川上幸一 | |
主要取引銀行 | 三菱UFJ銀行 針中野支店、関西みらい銀行 矢田支店 三井住友銀行 駒川町支店、大阪シティ信用金庫 南田辺支店、大阪信用金庫 平野支店 |
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事業所 | 本社第一工場 (延べ120坪) |
大阪市東住吉区住道矢田7丁目4-8 |
PAL工場 (延べ240坪) |
大阪市東住吉区住道矢田6丁目3-21 |
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組織図 | ![]() |
昭和34年 | 4月 | 大阪市南区(現・中央区)にて石油製品の販売を主として個人営業 |
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昭和41年 | 7月 | 大阪市北区真砂町にて法人組織を設立 資本金100万円 |
昭和42年 | 1月 | 大阪市南区(現・中央区)炭屋町に南大阪営業所開設 |
昭和47年 | 3月 | 本社大阪市東住吉区照ヶ丘矢田に移転 同時に南大阪営業所を本社内に統合 資本金200万円に増資 電気製品の加工業務が目的に加わる |
昭和49年 | 2月 | 大阪市東住吉区照ヶ丘矢田にスピーカー工場開設 |
昭和50年 | 4月 | 大阪市東住吉区矢田今池町(現・住道矢田)にスピーカー工場移転 及び第2工場を開設 電子製品も取り扱う |
昭和56年 | 4月 | 石油製品事業部を縮小 電子加工事業が主力となる |
昭和58年 | 2月 | 第2工場を増設 本社第1工場を改装 |
昭和62年 | 8月 | 大阪市東住吉区住道矢田6丁目にPAL工場開設 |
平成元年 | 9月 | PAL工場内にクラス10,000の民生用クリーンルーム設置 |
平成6年 | 12月 | 本社第1工場より工場部門を大阪市東住吉区住道矢田7丁目に新設した工場に移転 |
平成7年 | 1月 | 第2工場を本社工場に合併し操業開始 |
平成8年 | 8月 | 創設30周年記念 資本金400万円に増資 |
平成8年 | 9月 | 本社所在地を大阪市東住吉区住道矢田7丁目4-8に変更 資本金1,000万円に増資 |
平成15年 | 8月 | 「SHINSEI」を登録商標として特許庁より認定される |
平成17年 | 11月 | 鉛フリー対応のはんだ付け商品取り扱い開始 |
平成19年 | 8月 | RoHS対応商品用設備導入 |
平成23年 | 3月 | HP開設 |
平成24年 | 11月 | KES・環境マネジメントシステム 導入 |
平成25年 | 1月 | 本社工場 PAL工場 ISO9001取得 |
平成26年 | 8月 | 「大阪ものづくり優良企業賞2014」受賞 |
平成27年 | 11月 | 2015年度 関西IT百撰 受賞 |
平成28年 | 10月 | 大阪商工会議所 大阪府主催 もの技動画おおさか2016 アップ
You Tube 「もの技動画おおさか2016 株式会社新生 」で検索 |
平成30年 | 10月 | 経済産業省生産性向上促進事業の採択を受ける |
令和元年 | 10月 | 厚生労働省支援事業による国家資格電子機器組立技能士の育成開始 |
令和2年 | 12月 | 中小企業庁小規模事業者持続的発展支援事業の採択を受ける |
~SHINSEIの実績を歴史に沿ってご紹介します~
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第1章 はじまり |
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弊社は昭和41年設立で当初は石油製品の取扱を行なっておりました。 オイルショックの後は、加工のお仕事が中心になりました。 家電メーカーのクオーツ時計のはんだ付け組立が出発点になり、電卓、ラジオの組立、電子計算機(現在のパソコン)、スピーカー組立、 おもちゃの組立、自転車部品の組立、テレビ、白もの家電、音響製品、手芸糸の巻取等、あらゆる分野の商品群が社内に溢れていて高度成長期を実感する時でもありました。 |
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第2章 1980年代 |
有線放送がどこのお店にもあった時代に、弊社が製造を担当させて頂いた チャンネルボックスが全国に発送されていました。 赤外線リモコン、パソコン、金銭機械(電子レジスター)等、見たこともないような商品を担当させて頂いて、発見と挑戦の毎日でした。 まだチップ部品が一般的でない頃、カメラメーカーのフレキ基板にチップを作業者が1つ1つピンセットで積み、この時に初めて実験機のリフロー炉を使用しました。 リール部品がスティックに入っていたことを懐かしく思われる方もいらっしゃるでしょう。 新しい技術が次々と新しいものを作り出している、未来につなぐ技術が輝いている時でした。 |
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第3章 1990年代 |
現在も使用しているクリーンルームは、1989年発売パスポートサイズのビデオカメラに使う機構部品の製作時に設置しました。 αショックと呼ばれる社会現象を巻き起こしたオートフォーカス一眼レフカメラの光学部品も製作しておりました。 アイデアと技術を持って起業されたメーカーに御協力させて頂きました。 PCエンジンの部品加工やソフトメーカーのゲーム機の組立てなど日産数量が2万台を越えるような製作をさせて頂いておりました。 パソコンやゲームが社会に認識され始めた時期、色々なメーカーが色々なアプローチで市場を形成し競争していく激しさを感じる時でした。 |
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第4章 2000年代 |
携帯電話、ゲームカセット、紙幣両替機、液晶パネル関連の商品に携わっていました。 一世を風靡したヒット商品群はお得意先様の栄光であり弊社の誇りでもあります。 |
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第5章 現在 |
はんだ付け、ネジ締めも含めた基板加工、機器の組立、電材の貼り合わせ、組立、完成品の梱包を行ない、それらの商品を全国に発送しております。 | |
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第6章 未来 |
これからも手加工を中心に実績を積み重ねてまいります。 あなた様の商品が我々の誇りとなるように未来へつなげてまいります。 |